ディズニーシーの新エリア「ファンタジースプリングス」オープンに、ディズニーランドのトゥモローランド再開発と、勢いがおさまらない東京ディズニーリゾート!
そんなディズニーランド・ディズニーシーを運営しているオリエンタルランドは、やばい経歴を持つ歴代社長・会長に率いられて現在まで走ってきました。
今後のディズニーはどんなふうに成長していくのか気になるところよね!
その前に「やばい経歴」って何…?
歴代社長・会長がどんな人だったのか気になっちゃうよ!
もちろん「やばい経歴」といっても”いい意味で”なのでご安心ください!
今回は、オリエンタルランドの歴代社長・会長にスポットを当て、その経歴と今後の展開についてご紹介します。
ディズニーを日本にもたらしてくれたオリエンタルランドの歴史ってすごくおもしろいんです!
一緒にちらっとのぞいちゃいましょう♪
オリエンタルランド歴代社長会長をご紹介
まずは、8名のオリエンタルランド歴代社長と、5名の歴代会長のお名前を見ていきましょう!
会長のほとんどは社長も経験した方ですので、ここでは全部で9名のご紹介となります!
オリエンタルランド歴代社長は8名
オリエンタルランドの歴代社長は、次の8名です。
- 川﨑千春(在任期間:1960年〜1978年)
- 高橋政知(在任期間:1978年〜1988年)
- 森光明(在任期間:1988年〜1992年)
- 加藤康三(在任期間:1992年〜1995年)
- 加賀見俊夫(在任期間:1995年〜2005年)
- 福島祥郎(在任期間:2005年〜2009年)
- 上西京一郎(在任期間:2009年〜2021年)
- 吉田謙次(在任期間:2021年〜現在)
初代社長・会長であり創設者である川崎千春さんがオリエンタルランドを創設したのが1960年のこと。
それから今年2024年で64周年となりますね。
ディズニーランドって2023年で40周年だったよね?
オリエンタルランド創設からディズニーランド開業までかなりかかったんだな〜
オリエンタルランド歴代会長は5名
続いて、5名のオリエンタルランド歴代会長を見ていきましょう。
- 川崎千春
- 高橋政知
- 加藤康三
- 加賀見俊夫
- 高野由美子
初代から第4代まで、オリエンタルランドの会長は社長経験者がつとめましたが、現職の高野由美子さんのみ前職がオリエンタルランド副社長でした。
しかもオリエンタルランド初の女性会長!
デキる人に間違いない!!
オリエンタルランド歴代社長会長のやばい経歴とは
オリエンタルランドという大企業の社長・会長を任されたという時点で、どの方もやばい経歴を持っていることには間違いありません。
しかしここでは、現在のディズニーランド・ディズニーシーにつながる大きなきっかけを作った5名を厳選して、そのやばい経歴をご紹介していきますね。
先ほどご紹介した9名の中から、会長を経験した5名の経歴を紐解いていきましょう♪
オリエンタルランド初代社長・会長:川﨑千春氏の経歴
まずは初代社長・会長である川﨑千春さんの経歴を見てみましょう。
生年月日 | 1903年4月5日 |
没年月日 | 1991年6月6日 |
学歴 | 東京帝国大学 (現東京大学) 経済学部 |
主な功績 | オリエンタルランドを創設 京成電鉄とオリエンタルランドの社長を兼任 ディズニーパークを日本に誘致 ディズニーランド建設計画の中心人物となった |
その他 | 絵が上手く古バイオリン修理が趣味という芸術家肌 |
京成電鉄で働き、社長までつとめた川﨑さんは、京成バラ園で販売するバラの買い付けのために訪れたアメリカで、オープンから3年後のディズニーランド(カリフォルニア)を目にしました。
「この素晴らしいものを日本の子供たちにも見せてあげたい」と思った川﨑さんは、ディズニーパークの誘致を発案しました!
日本にディズニーランドを作るために、高校の先輩だった三井不動産社長・江戸英雄さんに声をかけ、オリエンタルランドを創設。
京成本社の片隅に置かれたたった3つのデスクが、オリエンタルランドの、そして東京ディズニーリゾートの始まりとなりました。
東京に近いエリアにレジャー施設を建設するという条件付きで、オリエンタルランドは千葉県から埋め立ての許可を得ました!
1961年に初めてアメリカのディズニー社を訪れた川﨑さんは、その後10年以上にわたって根気強く交渉を続けました。
ようやくディズニー社との契約が結ばれたのは、川﨑さんがオリエンタルランド社長を退任した翌年。
社長退任後も会長、相談役としてオリエンタルランドに関わり続け、1983年のディズニーランドグランドオープンの日にはセレモニーにも出席したんですよ。
アメリカで川﨑さんがディズニーランドを初めて見たときから25年…
長年思い続けた夢が叶った瞬間だね!
1991年6月6日に亡くなられましたが、その33年後…2024年6月6日にディズニーシーの新エリア「ファンタジースプリングス」がオープンしました。
この日をオープン日に選んだのは、オリエンタルランドの川﨑さんに対するリスペクトだと考えられますよね。
オリエンタルランド第2代社長・会長:高橋政知氏の経歴
続いて、日本人初のディズニーレジェンドの1人でもあるオリエンタルランド第2代社長・高橋政知さんの経歴です。
生年月日 | 1913年9月4日 |
没年月日 | 2000年1月31日 |
学歴 | 東京帝国大学 (現東京大学) 法学部 |
主な功績 | 浦安沖の漁業権を放棄してもらえるよう地元漁業協同組合と交渉 ディズニーランド建設に向けてディズニー社と交渉 ディズニーシー構想からの中心人物 |
その他 | 日本人で初めてディズニーレジェンドを受賞 日本人で初めてパーク内のショーウインドーに名前が刻まれる |
豪胆で大酒飲みだった高橋さんは、川﨑さんと一緒にオリエンタルランドを作った江戸さんの紹介で入社しました。
入社時の役職は専務で、主な仕事は地元漁業協同組合との交渉…
気性の荒い漁師さんの信頼を得るには、高橋さんが酒を酌み交わして本音でぶつかるのが一番だという江戸さんの判断だったそうです。
こう考えると江戸さんもめちゃくちゃやり手ですね…
見事交渉には成功したものの、高級料亭で繰り返し行われた接待費などはすべてが経費として認められたわけではなく、高橋さんが身銭を切ることに。
妻・弘子さんの持病が悪化した際にはオリエンタルランドの社長を退任してまでそばにいたという愛妻家で知られる高橋さんですが、弘子さんの実家だった邸宅を売ってしまうことになりました。
旧高橋邸は、今はニュージーランド大使館になってるって!
…すっごい豪邸…
ディズニーランド開園5周年の記念会見の場で、高橋さんの口から第2パーク構想が語られます。
高橋さんは第2パーク実現の中心人物として、アメリカのディズニー社と話し合いを重ね、少しずつディズニーシーを形作っていったのでした。
しかしその後、最愛の妻・弘子さんが亡くなり、高橋さん自身の体調も悪化…
ディズニーシーの完成を見ることなく、2000年1月31日に天国へと旅立ちました。
その翌年、高橋さんの88回目のお誕生日にディズニーシーがグランドオープンしました…!
ディズニーシーのシンボルであるアクアスフィアのレリーフには、高橋さんとフランク・ウェルズさん(ディズニーシー構想時のウォルトディズニーカンパニー社長)2人の名前が刻まれているんですよ。
オリエンタルランド第4代社長・第3代会長:加藤康三氏の経歴
続いて、現在の東京ディズニーリゾートを陰で支える仕組みのすべてを整えたといっても過言ではない第4代社長・加藤康三さんの経歴です。
生年月日 | 1928年12月12日 |
没年月日 | 2011年3月26日 |
学歴 | 東京大学 農学部 |
主な功績 | 多くの子会社を設立し、リゾート全体の運営体制を整えた |
千葉県水産部長を経てオリエンタルランドに入社した加藤さんは、社長時代に1社・会長となってから12社の子会社を設立し、パークを、そしてパークで働くキャストを支える仕組みづくりに尽力した方です。
加藤さんが創立した子会社と、それぞれの業務内容を一覧で見てみましょう。
設立年 | (現在の会社名) 子会社名 | 業務内容 |
1994 | 舞浜コーポレーション | テーマパーク運営のサポート業務 |
1996 | 舞浜リゾートホテルズ (ミリアルリゾートホテルズ) | ディズニーホテルの運営 |
1997 | 舞浜リゾートライン | ディズニーリゾートライン(モノレール)の運営 |
グリーンアンドアーツ | パーク内外の植栽管理 | |
1998 | フォトワークス (オリエンタルランドクリエイションズ) | 写真撮影サービスの運営、販売 写真のプリントサービス 等 |
デザインファクトリー (オリエンタルランドクリエイションズ) | デザイン、印刷 | |
ベイフードサービス | オリエンタルランド社内のコンビニや社員食堂を運営 | |
1999 | 舞浜ビジネスサービス (舞浜コーポレーションに合併) | テーマパーク運営のサポート業務(障がい者雇用を促進) |
イクスピアリ | 商業施設「イクスピアリ」の運営 | |
アールシー・ジャパン (クリエイト・ダイニング) | イクスピアリ等のレストラン運営 | |
2000 | リゾートクリーニングサービス (リゾートコスチューミングサービス) | キャストコスチュームの管理、クリーニング |
2001 | 舞浜ビルメンテナンス (MBM) | パークの夜間清掃(ナイトカストーディアル) パーク外の警備、清掃 |
オーエルシー・キッチンテクノ (MBMに合併) | キッチン設備の管理 |
さらに、リテイルネットワークスの株式を全株取得して子会社化し、ディズニーストアの運営にも着手しました。
加藤さんが確立した「子会社でリゾートを支える」という仕組みは、パークで働くキャストの大きな助けになっています。
社食の方やコスチューム貸し出しの方とはよく話す機会がありましたが、みなさんフレンドリーで素敵な方ばかりでした☆
初代社長・川﨑さんが設立した当時はたった3つのデスクのみだったオリエンタルランドは、加藤さんが第3代会長をつとめる頃には一大グループ企業へと成長していたんですね。
オリエンタルランド第5代社長・第4代会長:加賀見俊夫氏の経歴
次はオリエンタルランド歴代社長の中でも超有名人である加賀見俊夫さんの経歴です。
生年月日 | 1936年1月5日 |
学歴 | 慶應義塾大学 法学部 政治学科 |
主な功績 | ディズニーランド開業から現在に至るまで活躍を続ける 高橋さんからディズニーシー建設計画を引き継ぎ見事オープンさせる |
その他 | 2008年にディズニーレジェンドを受賞しワールドバザールの窓に名前が刻まれる 高橋さんを師と仰ぎ慕っていた パークに出てゲストと接することもある 愛称は「かがみん」 |
抜群の知名度を誇る「かがみん」こと加賀見さんは、2024年現在88歳にしてなんと現役で活躍中です。
会長職を退いたあとも、代表取締役(取締役会議長)としてオリエンタルランドに関わり続けています!
ディズニーシーが開業したときのオリエンタルランド社長として知られる加賀見さんは、ゲストからもキャストからも人気者。
パークに来ているときはゲストの人だかりができますし、サンクスデー(キャスト対象の貸切イベント)の日にカストーディアルキャストの服を着た加賀見さんが登場したときはミッキー顔負けの歓声があがったものです。
また第2代社長の高橋さんを慕っており、高橋さんが亡くなったときには社をあげたお別れ会を開いたり、葬儀後に高橋さんの棺をのせた霊柩車でパークを回ったりしたという逸話もあります。
亡き高橋さんにディズニーシーの建設現場を見せ、さらに閉園後のディズニーランド敷地内にも入ったそう…
高橋さんを偲ぶ加賀見さんの思いが伝わってきますよね。
加賀見さんは本も出版しているので、彼の熱い思いをもっと知りたい方はぜひ読んでみてくださいね。
オリエンタルランド第5代会長:高野由美子氏の経歴
最後にご紹介するのは、2024年現在オリエンタルランドの第5代会長をつとめている高野由美子さんの経歴です。
生年月日 | 1956年6月23日 |
学歴 | 上智大学 文学部 |
主な功績 | ディズニーシー建設計画時の日本側メンバーとしてディズニー社と協議 ミリアルリゾートホテルズの社長に就任し業績を伸ばす 第8テーマポート推進本部長としてファンタジースプリングス建設計画を進めた |
その他 | 女性初のオリエンタルランド会長 オリエンタルランド会長で唯一副社長からの抜擢 |
2023年、加賀見さんから会長のバトンを引き継いだ高野さん。
ディズニーシー建設計画の際には渡米してアメリカ側メンバーと協議を重ね、ミリアルリゾートホテルズの社長に就任してからはホテル事業の業績向上に尽力しました。
その結果、ホテル事業はテーマパーク事業に次ぐレベルへと成長を遂げたんです。
ディズニーホテルの中でも人気のホテルや部屋は本当に予約困難だもんね〜
さらにファンタジースプリングスの建設にも構想段階から中心人物として参加し、推進本部長としてプロジェクトを率いてきました。
ホテル事業・テーマパーク事業の両方で実力を発揮してきたということがわかりますね。
バリバリのキャリアウーマンね!
憧れるわ〜
オリエンタルランドの今後はどうなる?
オリエンタルランドのこれまでを支え、率いてきた歴代社長・会長の「すごすぎてやばい」経歴をご紹介してきましたが、ディズニー好きとして気になるのは今後の展開ではないでしょうか。
ここからは、今後オリエンタルランドがどのようにしてテーマパークを成長させていくのか、そして話題の新規事業についてご紹介します。
2026年:シュガーラッシュのアトラクション開業予定
現時点で発表が出ているもののうち、もっとも早い2026年に実現する見込みなのはシュガーラッシュのアトラクションオープンです。
アトラクション「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」が、テーマを一新してリニューアルされます!
2024年9月現在は、クローズに向けてバズライトイヤーのファイナルイベントが開催されています。
新しいアトラクションができるのは楽しみですが、これまで慣れ親しんできたアトラクションがなくなってしまう寂しさもありますね…
まだ乗り納めていない人は、2024年10月31日までに乗りにいきましょう!
2027年:新スペースマウンテン開業予定
2024年7月31日、惜しまれながらクローズしたスペースマウンテン。
こちらは現在新しいスペースマウンテンが絶賛建設中で、2027年にオープンを予定しています!
これまで以上にスリリングになるのかな?
楽しみだなぁ!
スペースマウンテンはディズニーランド開園当時からあったアトラクションなので、それが建物ごと変わってしまう…となるとパークの景観も大きく様変わりします。
好きだった景色が過去のものになるのは少し寂しいですが、ウォルトの言葉通り「永遠に完成しない」のがディズニーランド。
スペースマウンテンがどんなふうに生まれ変わるのかを楽しみに、オープンを待ちましょう!
2028年:ディズニークルーズライン就航予定
2028年(2029年初頭とも)には、ディズニークルーズラインが日本で就航する予定です!
こちらの発表があった2024年7月9日には、日本中のディズニー好きさんが大いに沸きましたよね。
私も大興奮でした!
アメリカに渡ることなくディズニークルーズに乗れるなんて…♪
クルーズ事業の責任者は、現在のミリアルリゾートホテルズ社長であるチャールズ・D・ベスフォードさん。
まさに「海に浮かぶディズニーホテル」実現に向けて動き始めているんですね。
国外に出る必要がないというだけでなく、短期航路となることが発表されているのも、長い休みを取りにくい日本人としてはありがたいところです。
「外国はちょっと…」って諦めてたおじいちゃんおばあちゃんとも一緒に行けるかも☆
拡張する土地がない中でも成長が続く見込み
2024年現在で確定している今後のオリエンタルランドの展開についてご紹介してきましたが、いずれも「パークの大幅な拡張を伴わない」という点にお気づきではないでしょうか。
ファンタジースプリングス開業でディズニーシーの敷地が拡大されましたが、残念ながら舞浜にはこれ以上エリアとして拡張できるほどの土地が残っていません。
じゃあもっと海を埋め立てれば…ってそんな簡単にはいかないよね〜
先日アナハイムで行われたD23Expoでは、海外ディズニーパークの拡張計画が多数発表されました。
思わず「うらやましいな…」なんて思っちゃいましたが、日本は土地がない中でもなんとか成長する方法を見つけ出しているようにも感じます。
土地がないなら海に船を浮かべればいいじゃない!
…というマリーアントワネット構文ですね。笑
今後も、既存施設の建て替えやリニューアルによる成長が中心となるのではないでしょうか。
ゆくゆくはディズニークルーズの複数航路や、土地さえあれば夢の第3パークへとつながっていくといいですよね。
オリエンタルランド歴代社長会長のやばい経歴!今後はどうなる?まとめ
今回は、ディズニーランド・ディズニーシーを運営するオリエンタルランドの歴代社長・会長をご紹介しました。
- 川﨑千春(初代社長・会長)
- 高橋政知(第2代社長・会長)
- 森光明(第3代社長)
- 加藤康三(第4代社長・第3代会長)
- 加賀見俊夫(第5代社長・第4代会長)
- 福島祥郎(第6代社長)
- 上西京一郎(第7代社長)
- 吉田謙次(第8代社長・現職)
- 高野由美子(第5代会長・現職)
9名のオリエンタルランド歴代社長・会長はいずれもやばいほど素晴らしい経歴をお持ちです。
その中でも今のディズニーリゾートを作り上げるきっかけとなったのは、会長職を経験した5名だと言えるでしょう。
- 川﨑さん:ディズニーランド誘致を志してオリエンタルランドを創設
- 高橋さん:漁業組合やディズニー社との交渉をまとめてディズニーランド建設を実現化
- 加藤さん:ディズニーリゾートを支える仕組みとして数多くの子会社を設立
- 加賀見さん:ディズニーランド建設から現在までオリエンタルランドを支え続ける
- 高野さん:ホテル事業を大成長させたのちファンタジースプリングス建設を推進
ここだけ抜き出してみても「すごすぎ…」って思っちゃいますよね。
現在のオリエンタルランドを率いるのは第8代社長の吉田さんと、第5代会長の高野さん。
そして取締役会議長として加賀見さんも現役です。
こんなすごい人たちが活躍中なんだから、今後のオリエンタルランドも発展を続けること間違いなしだね☆
私たちが現在ディズニーランドやディズニーシーで楽しい時間を過ごすことができるのも、オリエンタルランド歴代社長・会長の力があってこそです。
今後はどんな新しい魔法が待っているのか、楽しみですね!